こんにちは、いつもブログを読んで頂いてありがとうございます
突然ですが、先日なんとブログ村の世界一周ブログランキングのTOP10に入りましたうれしー!
おかげでお金はないけど心は充実しておりますピカ太郎です(@PikataroWorldT)
これからも「ニートがライフを削りながら書いている」という事実を再認識しながらお楽しみください
ということで前回の続き
中国新幹線の車内は賑やかだ
みんな普通に喋ってるし、携帯ゲームやYouTubeも音量を出してたりする
ギャーギャーうるさいし、日本人である自分にとってこれは一見「嫌な文化だな」と思った
でも驚いたこと、みんな特に迷惑がってはない様子だ
みんなうるさいのを許容している、というか気にすらしてない
電車に乗っている最中に色々考えたんだけど、自分はこの文化結構好きだなという結論に達した
何故ならばみんなやりたいことをしているからだ
以下考察の過程をたどる↓(文字ばっかで長い)
日本ではみんなのためという認識のもとマナーや常識があり、車内では静かにすることが求められている
けれど、みんなのためを思うのならば、好きな音楽を聴いたり、友達と会話したりしてもらった方が、「みんなのためになる」ということに対して理にかなってるんじゃないかと思った
逆に、「静かにすることがマナー的に正しい」とした時、「他人からのマナーは本当に自分のためになってるのだろうか?」というのも疑問だ
他人から見て自分はみんなの一部なので、他人からすれば自分のことも含めたマナーだと思う
だけど、その割に日本の電車内では常に他人のことを考えて行動しなければならないので、常にちょっとだけ緊張してる気がする
この状況を考えると「自分はみんなのためにマナーを守るけど、他人がみんなのためを思ってしたマナーは、実は自分を含め、他人のためになっていないのではないか?」という考えが浮かんだ
んーパラドクス!
以上をまとめると、「やりたいことを抑制し合うより、やりたいことを認め合ったり許し合ったりした方がいいのではないか」と個人的に思った
今僕、かっこいいこと言ましたね
うん、かっこいい
問題点の次は原因だ
じゃあなんで日本人は許し合わないで抑制し合ってるのかといえば、単純に「子供の頃からそれが当然の環境にいて無意識に染み付いてるものだから」じゃないのだろうか
「考えられたもの」だったらマナーや常識の内容は違うものになっていたのかな?
また問題点に戻るけど、理にかなってない常識は、理解するのが難しいこともあるし、マナーの違いがあった時にいさかいが生まれてしまう原因になるとも思う
また、共通認識を持つことは便利だけど、できない人に「なんでこんなこともできないんだ」と質問せずに見下したりしてしまうこともあると思う
違いに対しては質問をして、理解し合うところから解決策が見えてくると思うのだが
上記の原因としては以下の考えが浮かんだ
みんなのためだと言いながらマナー違反だと怒る人は、自分の本心でムカついてるのではなく、マナーとか常識が染み付いて、そうじゃない環境に対して自分の正しさを正当化するために、怒ってたりするのではないだろうか
つまり、みんなのためだったり解決しようとしたりしているのではなく、ストレスを発散することが目的なんじゃないかな?
色々書いたけど、結局何が言いたいかというと、「賑やかな電車を受け入れてる中国の文化はいい文化だなと思った」ということだ
ま、なんだかんだ車内で電話する人にうるさ!と思ってしまうし、僕自身先入観の塊のような人間なんですけどね
拱北(ゴンベイ)から広州の間はそんなことをずっと考えていたけど、話ばっかりになってしまったので移動中の写真!
線路点検のおじさん、待ち方いい
初めてリアル竹竿で荷物担ぐ人見た!発展してるんだか発展してないんだかわからんけどなんかいい
広州の駅でかすぎる!!!!
果てしない線路の数・・・
あーまだ中国でいいなと思った文化について書きたいことあるんだけど、長くなりすぎるから残りは次!